【開催レポート】第3回すず若者意見交換会Vol.06 テーマ「住まい」2024年11月13日(オンライン開催)

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すず若者意見交換会
珠洲の未来をつくっていく世代が、いま考えていることや想いを共有し、自分たちはどう生きるか、これからの珠洲をどうしていくかを一緒に考える会です。

テーマ「住まい」

意見交換を行うにあたり以下のプログラムを実施しました。

  1. 自分の状況を整理する
    支援制度をもとに、それぞれの状況を整理しました。
  2. ゲストセッション
    各会場、異なるゲストをお迎えしてお話を伺いました。
  3. 未来の家について意見交換
    住みたい未来の家を考え、みんなで共有しました。

今回はオンライン開催の様子をご紹介します。

※概要はコチラのレポートをチェック
すず若者意見交換会報告(第1~3回)


11月13日(水)オンライン開催

オンライン(Zoom)にて開催し、11名が参加しました。
またゲストには野崎さんをお招きし、阪神淡路大震災や東日本大震災など過去の災害について伺いました。

ゲスト
野崎 隆一氏(神戸まちづくり研究所/理事)
阪神・淡路大震災の経験をもとに、地域でともに考える復興の場づくりを支援。

自分の状況を整理する

珠洲市開催と同様にまずはご自身の状況を整理しました。整理する上で感じた疑問などを話し合いました。

  • 災害復興融資が利子に対する助成だと理解していなかった。
  • Q.自宅の再建を始めている方はいるか。
    A.修繕している家は見かける。たまに基礎打ちが始まっている土地を見かける。
  • 多岐にわたる支援制度の複雑さに、市役所職員の過労が懸念される。
    >>市の他に国や県主導の支援制度があり、細かい点は確認が必要など複雑である。
  • Q.現状の支援メニューに加えて、今後支援策が追加される可能性はあるか。
    A.最近「珠洲市住まい再建支援金」が追加され準備中である。その他追加があるかどうかは分からない。
  • 東北でも、宮城、岩手が、地域から転出者をできるだけ少なくしようと、追加の支援策を国の予算ではなく、県独自に出した。これは2年目に入ってからできた。

 

ゲストセッション

野崎氏より過去の災害と活動についてご説明いただきました。

●自己紹介

建築を専門とし、地域再建・まちづくりの支援を行っている。阪神淡路や中越、東日本、熊本やトルコなど国内外の被災地で活動し、現地で継続したまちづくり支援に尽力してきた。平時では兵庫県の阪神間でいろんな地域のまちづくりを行っている。兵庫県から依頼を受け珠洲の支援に入った。3年ほど継続的支援を行う予定である。

 

●過去の災害について

阪神淡路大震災
・神戸市魚崎地区で地域住民と共に復興を考えるため、まちの模型を作成し、5月に地域の方々が集まって街の再建について話し合うシンポジウムを開催。
・阪神淡路大震災の場合はマンション住まいも人も多く、普段からあまり人に干渉しないため、みんなで話を進めることにすごく苦労した。コレクティブハウジングという交流スペースのあるマンションを提案。1階でコンサートやクリスマス会を開催するなど、住民が交流する機会をつくり、今でも交流しながら住む、住まい方を楽しんでおられる。
東日本大震災
・気仙沼市でまちづくり協議会を通じて地域の再建をサポート。区画整理事業がかかったエリアで住民と話し合い、一緒になって市へ提案。市の計画に注文をつけていった。
・津波が心配だから高台に移ろうと防災集団移転事業が入ったエリアでは、土地は行政が造成するが、家は自分で建てないといけない。移転先を住民で議論し、地主に交渉するなど住民主体で進めた。また災害公営住宅へ入りたい人も、同じところに住みたいということで災害公営住宅における部屋の配置決めなども行った。(足が悪い人、ペットがいる人など個々の事情を尊重)
・ヒアリングとファシリテーショングラフィック(話し合いで出た意見をその場で模造紙に書いていく進め方)を駆使して住民の意見を集め、課題を解決する活動を4年間行った。
熊本地震
・熊本県南阿蘇村で6月~12月まで計4回「南阿蘇復興塾」を開催。
・住民に向けた意見交換の場を提供した。参加者の7割が移住者だったことが特徴的。
・震災から2年経っても400世帯が住まいの再建を迷っていた。そこで世帯全員で参加する相談会を実施し、再建の支援制度や対象フローを説明した。役場内で開催しその場で多様な課題に対応するため、役場職員と共に解決に当たる体制を整えた。
能登半島地震
・珠洲の各地域で住民の声を集めるために会合を開催。(7月:宝立、三崎、直、蛸島、正院 8月:飯田、上戸、若山、日置、大谷)
・色々話を聞くと、近所の人がどうするか、どういうふうに思っているのかという情報が入ってこないため、なかなか自分のことを決めにくいというような声が非常に多かった。あの人が残るなら私も、というパターンで考えることが多いのかなという印象がある。
・正院地区はワーキンググループができ、復興塾(勉強会)を8回開催するなど、熱心に活動
をされている。最終的に、従来からある区長会と新たに関心持って集まった若者たちがどうやって足並み揃えて、協議会を運営していけばいいのかということに悩んでいたので、阪神淡路の時の、まちづくり協議会のあり方みたいな話を紹介した。正院地区は、協議会の規約がほぼ出来上がり、年内に地域づくり協議会を立ち上げようと進めている。

 

新しい住まい方の提案

戦後から70年。時代は大きく変化。マイナス面では少子高齢化、人口減少が進み、限界集落が起こり、プラス面ではインターネットで色々な情報が入ってくるし、宅配を頼めば遠方からでも持ってきてもらえる。ソーラー発電、小水力など自立できるエネルギーもある。これらを背景とし、人が少なくなる中、固有の暮らしを守りながら、みんなで支え合い、つながりを保っていけるような奥能登らしい住まい方を見つけるのが良いと考える。

 

お話の後、それぞれ気になったことを野崎さんに聞きました。

Q. 阪神淡路はどのくらいのスピードで住まいの再建が進んだのか。
3月から仮設住宅が立ち並び、8月末に全避難所が解散。仮設入居から2年後くらいで災害公営住宅の着工が始まり次々と抽選で入居が決まっていった。5年後には全ての災害公営住宅が出来上が仮設も5年以内にすべて解体された。そのため阪神淡路は復興が早かったと言われるのかもしれない。被災マンションは別で、すべて再建したのが2021年。16年経ってやっと再建が完了した。早いのか遅いのかは分からない。

Q. 阪神淡路の時はどのような支援があったのか?
支援制度はほとんど無かった。住まいは自分で再建するものであるという考えが中心で、自分で建てる時に利子補給が受けられる程度。生活再建支援金もなかった。面的整備がされたエリアには道路などに国がかなりお金を出したが、95%以上の地域はそういう事業エリアではなかった。住宅を共同で再建する場合には補助金を出すという制度が平時からあったため、それをうまく利用し協力し合えば負担が軽減されるということで、戸建て住宅が面的に壊れたようなところに我々が声かけをして、共同でマンションのようなものを再建しませんか?という呼びかけを行った。

Q. 東日本の防災集団移転では資金調達はどうしましたか。実費でしょうか。
高台への宅地造成はほぼ全額国の補助金でやりました。出来上がった宅地を、原則、そこに家を建てる人が安い地代を払って土地を借りる。土地は借りて、家は自分の費用で建てる。その場合に金融公庫などのローンを使い、その金利の低減措置が受けられる。東北の人は割と借地の経験があまりなかったので土地を買い取りたいという話もあり、途中から買取可能となった。

Q. 珠洲での話し合いをどう進めていくのが良いのかアドバイスがほしい
先入観から、過疎の地域だからとエリアを集約しコンパクトにして、インフラを作りやすいようにしようとか極論的に発想する人がいる。しかし、阪神淡路や東日本、中越を経験して、それではダメだと感じる。地域の人の暮らしを知り、お話を聞いて、何が自慢で、何を大事にされているのかなど、聞いたことを中心にし、将来どんな地域であればみんなが戻れるのかなと話し合いをすることが大事。地域ごとに協議会を作ってやっていこうと呼びかけているのは「みんなでこの地域の将来をどう考えるのか?」と話し合いをすることが基礎にあるべきだと考えるため。行政は話を聞く時間や余裕がない状態になっているため、そこを僕らが担い、繋ぐことができるようにというスタンス。地域の人が本当に思っているようなことに「100%」はならないかもしれないが、できるだけ双方の利害が一致するようにみんなで頑張ってやっていくのがよい。

Q. 予算の事情がどうなってるのかを知りたい。東日本大震災に関する本に「国は復興予算を使い切らなくても延長されていくからゆっくりやっていけばいいのだと最初から言っていた。急がせたのは自治体、特に県だったんじゃないでしょうか。」という記述がある。実際、復興計画についても、まだ復興について考えられるような状態じゃないっていう声が上がっており、年度内に決めないといけないこと、急いで決めない方がいいこと、というのがあると思う。お知恵をいただきたい。
復興計画を市がお示しするのは年明けぐらいのタイミング。計画を出すということは、ある程度予算的な裏付けも必要になる。修正がきかない訳ではないが大枠の修正は難しい状況になっていくのでは。その前に、地域はどんな将来像を描いているのか、皆さんの声を聞き出したい。計画作りとうまくシンクロしていくことが今すごく大事な時期だと思う。大半の人が外へ出てしまっている、後を継ぐ若い人が現地にいないなど、どう補っていくのかが今一番の課題だと感じる。

Q.  東日本大震災の自治体でも失敗した、うまくいったという学ぶべき事例があると思う。 
これは失敗で、取り返しがつかないものだから、ちゃんと考えた方がいいというポイントがあれば教えてほしいです。
「これが失敗です。」ということはなかなか言えない。人間でもケガをしても傷は癒えていく。地域が存続している限りは、色々な形で補いながらいい形に持っていこうとする動きがある。一定の時期でスパッと切って「これは失敗です。」ということは誰も言えないと思う。ただお金の使い方で「こういうふうに使っておけばもっと楽だった。」みたいなことは阪神淡路の時もたくさんあった。

Q. 地区を離れた人もまちづくり協議会のような活動に参加できるのですか。
基本的には、土地建物の権利所有者は協議会の対象にしていかなきゃいけない。住民票がある、地区内に住んでいるということだけが要件ではない。地域の将来像を考えるのに権利を持っている方の意見も大事ですので、そこは区長会とまちづくり協議会の大きく違うところ。

未来の家について意見交換

○年後の未来の家についてイメージしていただき、考えや意見を共有しました。

未来の家ワークシート

Aさん
2年前に珠洲に移住して家族4人で暮らしていた。空き家バンクを通じて古民家を購入しリノベ中に被災したため金沢に借り住まいしている。1~2年後は珠洲と金沢の二拠点生活をイメージ。珠洲では大きな家、金沢ではコンパクトで必要最低限の機能を持った平屋を目指したい。建築士と連携しつつ、セルフビルドで珠洲の家を直したい。雨水濾過式貯水タンクやガスコンロ、薪ストーブなど災害時に使える設備をつける。津波よりも土砂災害の方がリスクが高いと感じているため、土地選びではハザードマップの確認を重視している。

Bさん
あまり家に理想がない。震災後、色々な人の話を聞いてると心理的安全性とか、将来を描くときにすごく重要なものなんだろうとは思う。地震、津波にどう対応するかは今後重要かなと思う。個人それぞれ住みたい理想があり、それをすごく大事にしたらいいと思う。こういう話す機会がすごく大事だと思った。

Cさん
居心地がいい家。窓から見える景色とか玄関から出た時の景色は好きな場所を選びたい。先ほどまで地域の集まりに行っていた。集落での関係性も大事にできるような場所がいいなという意味での居心地の良さ。今回の災害を受けて、熱源エネルギーを独自で賄える家だといいなと感じる。「子どもが大きくなった時、家はどうしようかな?」みたいなことをなんとなく考えている。

Dさん
一番大事なのは「命を守る家」。ちゃんと命を守る家であってほしい。日本海側独特の気候があるので寒さ対策や暑さ対策をしっかりした高機密の家がいい。地盤が安全かどうかをしっかり調査して確認したい。安全な場所の情報を行政が提供していくことが大事なのかなと思う。

Eさん
私は実家が珠洲なので、母が住む家なのだが、集落自体はもう失われてしまうという状況。母が命を全うできるような環境であれば、母が天寿を全うできるような場所であればいいな。母は好きなように生きていて、満足して住んでいるそうなので、ほぼ八割方クリアしているのだけれど。被災地での私の実家としては、目的を果たしているのかなと思う。

Fさん
耐震性や珠洲らしい暮らしは共通して大事にしたい。また住まいの再建にあたり、リセールバリューを考えてみるのもいいのかな。住み続けるのか、手放して小さい家に住みかえるのか、違う地域に行くのかなどライフステージは変わるので。少しでも将来への不安が軽減されるポイントになればよいなと。もう一つは二次活用の可能性を考えた上で家の間取りや設計を考えておくこと。住まいや店舗、一棟貸しのゲストハウスのような使い道など、この先、人口が減っていくとわかっている中で少しでも明るいアイデアが生み出せるのではないかと思っている。

Gさん
親が蛸島出身で小さいころは良く祖母の家に行きました。移住したいなと思いつつ、今の状況だとお家も見つけるのも難しくなったなって思う。それを乗り越えてでも住みたいなっていう気持ちもやっぱりある。仕事の都合もあり、自分の好きな街もたくさんあるので二拠点を視野に入れて実現させられるのが一番自分の理想に合ってるというのが現状。さらに街づくりや人と人とのつながりという意味も考えていくと、一緒に暮らす、プライベートも公の場もあって、何かあった時に助け合える、開け閉めができる箱みたいな感じの場所を自分も当事者として作っていけたら嬉しいし、完成したものの中に入るっていうよりかはそういう家づくり、街づくりに携わりながら、移住のことや将来のことを考えていきたいなっていうのが今の気持ちです。

Hさん
今東京に住んでいて実家が珠洲市にあります。全壊になり今は更地で親が自宅再建中。今回考えた家は、東京に家をキープしつつ、たまに帰る田舎の家という感じ。将来年をとってから夫と二人で戻ってたまに子供が来る。そんな感じで海が見える家がやっぱりいいなあ。目の前は海しか見えないような。津波があったのでセンシティブではあるのだが。素敵なインテリアと自然と安全とリラックス。近所には美味しいパン屋さんと小さいカフェがあるみたいな。すごくふわふわしたことしか言えずに申し訳ないが、その中に、オフグリッドや自立した生活ができる状況、施設、設備がいるなと考えている。いつかは東京と珠洲で行ったり来たりして住めたらなと思う。

振り返りの時間

最後に、参加して感じたことを振り返りました。
振り返りにはおなじみの「しあわせのたまご」の手法を活用しました。

 

  • 例えば土砂崩れのリスクがあり、行政として安全な場所を示すことが難しいとすれば、地
    質調査した費用に対して支援できるような制度を作ることが必要ではないか。
  • 自分も早く家を建てて仮設から出たい。
  • 住民や県外の人の潤滑油になるような役割を担う人が必要と感じた。私もそうなりたい。
  • みんな前向きで良い。理想に近づくにはなかなか大変で、本当に半年前はどうなるかなと思っていたが、ちょっとずつ、皆さん頑張っているなと自分自身が安心した。
  • 権利のある方が活発に意見ができるような場所、それが珠洲市で積極的に案内しているまちづくり協議会であるが、そこにもっと取り残される方がいないように(ウェブで参加できるなど)今日の会合をヒントにして進めたい。
  • 区長さんたちからも若い人の意見を聞きたいと言っている。皆さんのいろんなご意見が非常に参考になった。いろんな視点でのまちづくりが必要だと思う。
  • 移住者はキーポイント。外から目線で地域の価値を指摘してもらうことは大切。
  • 外から来てくれる若い子たちがもっと関われる、深くコミットできるような仕組みやハードがあるとよい。
  • 二拠点生活を考えていて、その税制とか税金関係とか制度として補助があるともっと気軽に二拠点生活ができて助かる。
  • 二拠点だと保育園・学校問題、住民票の場所による補償・制度などの問題もクリアできるようになれば。
  • 昔から能登は出稼ぎするという文化があった。今は廃れつつあるが、都会から人が来て、二拠点生活してもらえるように、構築できたら面白い。
  • 完全移住となるといくつも乗り越えなきゃいけないハードルがあるが、コリビング(複数人で居住空間を共有しながら暮らす「シェアハウス」と、仕事空間を共有できる「コワーキングスペース」の2つの特徴を併せた住居)や、シェアハウスビレッジ(シェアハウスがいくつもあって個も共も大切にする場所)があると、珠洲に住みやすいなと感じる。
  • 珠洲にある家は業者への貸し出しなどを想定した改修を進めていく。
  • 他の地域にもコンパクトな住まいを持ちたい。「家」というものに対するリスク分散と多拠点という考えがある。
  • 珠洲開催でもセルフビルドチームをつくろうとか、シェアハウスについて、家の分散所有についてなどの意見が出ている。例えばライングループ(オープンチャット)をつくり、興味がある人に入っていただくのはどうか。
  • セルフビルドなどのグループは面白い。保険の問題などもあるので、そこに専門家(外部)が加わり、サポートしてもらうと、なお良い気がする。
  • セルフビルド、VUILDというチームがある。

おわりに

オンライン開催では、市外へ避難された人や珠洲市出身者など住む場所を問わずに集まり、複数の視点から意見交換できることが面白いなとあらためて感じました。またゲストである野崎さんのお話はこれまでの災害を通して積み上げられてきた知恵であり学びの多い時間となりました。


2種類の意見交換会を開催予定です。

  1. テーマ別意見交換会
    今後の珠洲をどうしていくかテーマを設定し議論する会。
  2. 個別ヒアリング
    個別にお困りごとや意見などを聞きに伺います。個人でも団体でも町内でもOKです。
    ご要望があればLINEまたはお電話(82-7726)にてご連絡ください。

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