伝統ある塩づくりの価値を高め、能登の里山里海を守る/株式会社Ante

はたらく
  • LINEで送る

珠洲の外浦にある大谷地区、塩田が並ぶ国道249号沿いの「しお・CAFE」に伺ったのは、10年に一度の最強寒波といわれる日。目の前の日本海は波しぶきを上げて荒れていました。
「これがザ・日本海です」と、カフェから一望できる海を紹介してくれたのは、株式会社Anteの製塩事業を担う水上 憲雅さん。
雪のために珠洲まで来られなくなった社長の中巳出 理さんにもオンラインで参加していただき、Anteが製塩事業を始めるに至った経緯や取り組みの特長、塩づくりに対する想いや意気込みについて伺いました。

株式会社Ante代表取締役、加賀市出身の中巳出 理さん(右)と、輪島市出身で製塩事業を担う浜士の水上 憲雅さん(左)

伝統の塩づくりを知り、能登へ

―まずは中巳出さんにこれまでの経緯をお願いします。
私自身は元々現代アーティストでアメリカへ行って挫折、その後ネットビジネスのない時代にEコマースをやっていました。60歳を過ぎて「地元の石川県に貢献したい」という思いを抱き、販路も知識もゼロの状態で、洪水被害を受けた湯涌温泉の復興支援のために「金沢湯涌サイダー 柚子乙女」を企画販売したのがAnteの始まりです。
それから2008年に揚げ浜式製塩法が国の重要無形民俗文化財に指定されたと聞いて、翌年8月に初めて能登を訪れました。そして、能登には「日本の原風景」が残っており、伝統的な技法が連綿と受け継がれていることにいたく感動し、「揚げ浜式製塩を世の中に発信したい、知ってもらいたい」と思ったのです。
「柚子乙女」の実績もあったので、当時は世になかった「奥能登地サイダー しおサイダー」を企画し、2009年11月に発売。これが石川県を代表するヒット商品になりました。

ヒット商品「しおサイダー」以外にも、「しおちょこ」や「奥能登しおポテトチップス(うすしお)」など販売商品は多数

―それから「しお・CAFE」をオープンさせたのですね?
奥能登に人を呼びたい、交流人口を増やしたい、と周囲の大反対を押し切ってこの場所に「しお・CAFE」を作りました。塩田のある外浦でないとだめだったのです。設計には金沢工業大学の学生に依頼をして、若い人を呼び込むきっかけにしたり、メニューも能登の食材を活かしつつ若者向けにしたりしました。カフェができて、初めて奥能登まで来たという人もたくさんいましたよ。

2014年にオープンした「しお・CAFE」の外観

カフェの店内からは日本海が一望できる。海を眺めながらしおサイダーを使用したパンケーキや能登牛を使用したビーフシチューなどが楽しめる

NHKのテレビドラマ『まれ』で観光が盛り上がったけれど、揚げ浜式は日本の塩づくりの最後の砦なので守らなければならないという思いで2017年に製塩事業を始めました。

―伝統を守るために新たに伝統産業に乗り出したのですね?
はい。ここで重要なのは、伝統とは何かということです。私は、本当に守らなければならないのは、能登の美しい里海と里山だと思います。なぜなら伝統的な日本の塩づくりは、海の恵みである「海水」と山の恵みである「薪」を大切にしてきたからです。だから、おちょけで海水を撒いたりなどの形式だけではなくて、その精神を守ることが重要なのです。

1997年に塩の専売制度が廃止され、自由に塩づくりができるようになったが、揚げ浜式の塩づくりは過酷。現在能登で塩づくりをしている生産者のうち揚げ浜式を採用しているのは数軒のみ

塩づくりへのこだわりと今後の展望

―Anteならではの取り組みはありますか?
釜で焚く燃料に、弊社は全て山の間伐材を使用しています。膨大なコストがかかりますが、山の再生に少しでも貢献したいと思っています。
また、今はどこの海にもマイクロプラスチックが流れ込んでいるので、海洋プラを除去する装置を使用しています。去年は一次産業や伝統産業で取得するのが難しいとされる、食品の安心安全の世界基準であるHACCPも取得しました。塩を通して人にも地球にも優しい食を届けたいのでいろいろと取り組んでいます。

―今後の展望は何かありますか?
実は今春、おにぎり専門の店舗を金沢の尾張町で開業します。
世界最古のおにぎりの化石が発掘されたのが能登の鹿西(ろくせい)。鹿西のロクと米の十八から6月18日はおにぎりの日とされています。そして6月18日は私の誕生日でもあるんです! これは神様が作れと言っているんじゃないかと(笑)。
塩が一番美味しく感じられるのはおにぎりだと思います。そして能登では美味しいお米もとれる。1階はテイクアウトとイートイン、2階は完全予約制で能登の郷土料理を中心にコース料理「能登の昼餉(ひるげ)」を提供します。塩やお米の食材はもちろん、器やお椀なども全て手仕事にこだわったお店です。

新店舗「山里の咲(しょう)」は、2023年4月15日オープン。町屋を改修し、インテリアにもこだわっている

―これからの世代の人やAnteに来てほしい人材について伺いたいです。
私の仕事はこれで終わり。最後の仕事は、塩田も含めて築いてきたものを若いスタッフ達に譲る、託していくこと。これからは後ろに下がって若い人たちの援護射撃をしていくつもりです。
今は移住の風潮もあるけど、能登は都会の生活に疲れたからとかで来るような駆け込み寺ではありません。熱い人、地域を愛して一生懸命になれる人に来ていただきたいです。

これまで異端児、問題児と言われてやってきたという中巳出社長。「たとえ明日地球が滅びようとも今日りんごの木を植える」をモットーに、挑戦と粘り強さで成し遂げてきた

現場を取り仕切る職人の想い

―ここからは現場を取り仕切る水上さんに伺います。まず塩づくりの内容を教えてください。
揚げ浜式の塩づくりは、大まかに2つの工程に分けられます。1つは、塩田で海水からかん水(濃い塩水)を作る工程。もう1つは、できたかん水を釜で焚き上げて固形の塩を作る工程です。
塩田では、はじめに海水を撒いて乾燥させ、塩を砂に付着させます。それから塩がついた砂を集めて「垂舟(たれふね)」という箱に入れ、そこに海水をかけると砂についた塩が溶けてかん水(濃い塩水)ができます。
作業は季節によって、ある程度はっきりしています。かん水を作るには砂が乾くことが大前提なので、気象条件的な期間は4月末〜10月頭まで。この時期は主に塩田を使用してかん水を作ります。
かん水がある程度溜まってきたら、同時進行で釜での作業もしていきます。塩にするにはかん水を釜で二度焚きします。だいたい年明けまでは釜焚きしていますね。

砂を敷きつめた塩田での作業風景。中央の垂舟でかん水を作った後、垂舟を解体し、砂を再び塩田に戻す

―塩田での1日の工程はどういうものですか?
朝早く海水を撒いて昼まで乾かします。昼からは塩田の砂を集め、かん水を作ります。その後、砂を塩田に戻し、夕方にもう一度海水を撒きます。砂集めは一日一回。砂は使い捨てではありません。
春から秋のシーズンは基本的に晴れていれば毎日作業ですし、雨など砂が乾かない天候の日はやらない。その見極めは感覚や経験も必要ですが、今は情報もたくさんありますからね。
揚げ浜の塩づくりはかなり古い作り方で、その後にでてきた流下式や電気分解などの作り方がより効率的なのは当然のことなのです。会社が事業としてやるには今の時代にあった揚げ浜式のやり方にしていかないとならないと思っています。HACCPの取得なども大きなチャレンジでしたけど、まだいろいろと課題もありますね。

釜で焚き上がった塩。ミネラルバランスが良く、味わい深いマイルドな味になるという

―私たちがやろうと思って簡単にできるものですか?
釜焚きやシーズン前の下準備、冬支度などは、基本的に僕がやるんですが、塩田での砂集めの作業はパートさんに担ってもらっています。この砂集めは健康な方なら誰でもできますよ。

―どのような方たちが塩田の作業をされているのですか?
主に地元の方が多いです。経験者もいれば未経験の方もいます。去年に関しては20代の女性や、Iターンの10代の方も手伝ってくれました。作業は砂が乾いた後なので、晴れた日の13〜17時が作業時間になります。
社長は熱い人に、と言っていますが、数ヶ月作業を続けるので、急がず焦らず、でもしっかり熱を燃やし続けられる人、持続力のある人が向いていると思います。

食べる人が第一という水上さん。地元に戻るまでは金沢の片町でバーテンダーをしていた経験もあってお客さんへの視点を大事にしている

―塩づくりの醍醐味はなんですか? 水上さんの塩づくりへの想いを伺いたいです。
実を言うと、僕は「しお・CAFE」のスタッフとして開店と同時に入ったので、塩づくりをするとは思っていませんでした。塩づくりは、強いていうと部署移動だったのです(笑)。
伝統産業だからというよりは、まず売れるものを作ることが使命。それは何かというと、美味しい塩。美味しくないと意味がない。揚げ浜式でやることで美味しい塩ができることに価値があると思っています。
面白い点でいうと、自分のやったこと全てが塩に結果が出ること。これはものづくりをするクリエイターの考えに通じるかもしれません。僕はものづくりに興味があるので、塩を通して喜んでくれる人が1人でも2人でも増えるといいなと思っています。

(以上インタビュー)


「猪突猛進」という言葉が似合いそうな中巳出さんは情熱的で、パワーをもらえる楽しい取材でした。規格外な発想でここまで成し遂げてきたことや伝統に対する思い、里山を守るための取り組みには深く共感しました。
また、過酷な自然環境で現場を一人で取り仕切る水上さんは、塩づくりをするとは思っていなかったといいつつも「美味しくなければダメなのだ」という発言を何度もされていて、そのストイックさに職人魂を感じました。
「外浦には厳しい自然と美しい自然しかない」と中巳出さんが仰っていましたが、ここに暮らして日々塩づくりをし続けるというのは、私にとっては未知の領域です。次は「厳しい自然」でない時期に塩田を訪れてみたいです。

珠洲おしごとライター 池田 裕美
取材日:2023年1月25日
※「珠洲市実践型インターンシップ2022」として実施