能登からパリへ、伝統と革新の両輪でつなぐ/宗玄酒造株式会社

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誰もが一度は目にしたことがあるはず、「宗玄」の二文字。奥能登珠洲の地に酒蔵を構えてから250年以上、能登杜氏発祥の蔵として日本酒界をけん引し続ける宗玄酒造株式会社。
今回はそんな宗玄酒造の徳力社長と営業の万行さんにお話をうかがいました。
酒造りの秘訣や珠洲市の魅力から、近年のラベル刷新まで幅広いお話が詰まっています!

取材を受けていただいた徳力社長(左)と、3年前に神奈川県から移住した営業の万行さん(右)

奥能登・珠洲に拠点を構えて250年

-宗玄酒造は250年も続いている非常に歴史ある会社なのですね。そのなかでどういったことを肝に銘じながら日々活動しているのでしょうか?
徳力社長:今、世界中が新型コロナウイルスの影響を受け、既存の産業がこのまま続くかどうかという時に、会社がどうしたらいいのか、従来どおり事業を推し進めるのか、それとも、また違ったことをやるのか、その際どんな事業をやるのか?など、そういった岐路に弊社も立っていると思います。
酒造りは250年の歴史があるのですけれども、それと同じことをやっていくかどうかはまた別の話ですから、今までの酒造りと違うことを始めてもよいわけですからね。
万行さん:宗玄酒造は「能登杜氏」という流派の発祥の蔵と言われています。能登杜氏の酒の特徴はコメの旨味をしっかり引き出した味乗りの良いお酒なんです。
宗玄として、250年以上の伝統を守ってきているという自負もあるし、我々が能登杜氏の酒というものを今後も残していかないといけないという使命感を背負って事業を続けています。

250年以上の歴史がある「能登杜氏」発祥の酒蔵

-宗玄酒造のお酒は珠洲市の気候や風土といった「地の利」を活かしたお酒なのですか?
万行さん:おっしゃる通り、珠洲の風土と歴史とが深く関係しています。
能登半島というのは大昔からずっと塩を作ってきた文化圏だったんですね。というのも、今でこそ里山里海と言われ世界農業遺産にも認定されていますが、大昔はコメを育てることすら難しい土地だったんです。一方で、塩を作るにはすごく適した土地だった。そういう歴史があって、塩が潤沢にあったことから能登の料理は他の地方と比べて、割と味付けが濃いんですね。私は神奈川県から3年前に移住していますが、神奈川よりやっぱり濃いです。
ここでお酒の話に戻ります。我々宗玄酒造は食中酒を造っています。味付けが濃い料理に対しては、ちゃんと味が乗っている酒じゃないと簡単に料理の塩味に負けちゃうんですよ。食中酒であるからには、バランスがすごく大事になってきますよね。なので宗玄酒造の味は、コメの旨味が最大限に引き出されたお酒なんです。

櫂(かい)入れ(蒸した酒米、麹、酵母などの原料を櫂棒でかき混ぜる作業)をする能登杜氏の古谷 邦夫さん

万行さん:私は、先ほども話したとおり、神奈川から移住してきたんですけど、なんでここに決めたかというと、ここに住んでいる人たちが「カッコいい」と思ったからなんですよ。
宗玄のお酒を造っている人たちがどういう人かというと、例えば杜氏の一人である坂口さんは、お酒を造っているときは杜氏(酒造りの責任者)なんですけど、お酒を造っている期間以外は農業や漁業をしているんです。蔵人(杜氏の指揮のもと酒造りに従事する人)も同じで、果物を作っている人がいたり、お米を育てている人がいたり、漁師がいたりします。さらに、その人たちはほとんどが、珠洲市や隣の能登町で育った人たちなんです。
漁師は、風の向きや潮の流れ、匂いで天候をよんだり、農家は土の柔らかさ、虫の有無、葉っぱの状態で生育を判断したりしている。つまり、“見えないもの”をずっと見続けている人たちなんですよ。そういう人たちがお酒造りの現場に入ります。そして菌という目に見えないものと会話をしながらお酒を造っているわけです。そんな人たちが造る日本酒なのですから、美味いに決まっていますよね。
奥能登の珠洲というところに酒蔵があったからこそ、このメンバーがそろっているという自信があります。

蔵入りの日。背中に記された「宗玄」の二文字。後ろ姿から「覚悟」がにじみ出る。

人と人をつなぐお酒

-話は変わって、営業のお仕事での一日のスケジュールを教えていただきたいです。
万行さん:酒屋さんに直接お伺いする日もあれば、そうでない日もあります。我々は宗玄のお酒を説明するプロではありますけど、酒屋さんは必ずしもそうではない場合もあります。そして毎回宗玄を選んでくれるとも限らない。それなので、酒屋さんが宗玄のお酒を説明しやすいように我々からレクチャーをしたり、資料を作ったりしています。

-営業として働く中で心がけていることはなんですか。
万行さん:酒屋さんには、宗玄だけでなく他社も営業に訪れるわけじゃないですか。そのなかで私が大事にしているのは、いかに酒屋さんに顔を出すかという点です。酒屋さんも人なので、かわいがってもらえるようになればお酒も売ってもらえるんですね。それなので、酒屋さんに対してどれだけ貢献できるか。つまり、単に営業といっても酒の説明だけじゃないんですよね。人対人の仕事って面白くて、全然ロジックじゃないところがあるんですよ。

-営業職の一番のやりがいは何でしょうか。
万行さん:大きく分けて二つあります。
一つはお酒を介して人とつながれるということです。お酒を飲む人って、年齢も性別も所得の高い低いも関係なく飲むんですよね。それなので、普段会えないような人と会えるし、つながることもできる。それがお酒の魅力の一つです。
そしてもう一つは、お酒を介して能登のカッコいい人たちや、文化の深さを紹介できるということです。これがめちゃくちゃ楽しいんです。自分自身も能登の人間になりたいと思って引っ越してきているので。

革新の源は「若い力」

-冒頭で革新の連続が伝統になるとおっしゃられましたが、そういった革新を生み出すには具体的にどうしたらよいのでしょうか。
徳力社長:うーん、一番難しいのは昔からいる人の意識を変えることですね。「昔のままでいいわ」と思っている人には何を言っても分かりませんから。そういう時はもう人を変えるしかないんです。若い人に入ってきてもらうしかない。
実際、弊社には今、UターンやIターンの社員が5~6人います。東京や愛知などの県外から来た人や、海外経験のある人もいますね。

フランス・パリでの商談会の様子。多様な人材が会社に新たな風を吹き込む。

-では、若い人に求めるものというのは、そういった革新性ですか?
徳力社長:そうですね。若い人には、もっと躊躇せずに意見を出してもらいたいですね。昔の人は、インターネット販売をしようなどと考えもしないですから。また、お酒のラベルのデザインを変えようなどと思ったことがなかったのですけど、今年に入って主な商品のラベルを、従来の漢字表記のラベルから伝統的な「剣山」のロゴマークのラベルに刷新しました。
これは「宗玄酒造」を知っている人のためではなく、まだ知らない人のためにデザインにしたんです。宗玄という名前を覚えてもらわなくても、このマークで覚えてもらい、目に留めて買ってくれるように。
ラベルのデザインを刷新してからは、海外の顧客や、若い方々の購入も増えています。

刷新したラベルのデザイン

-若い方たちに向けて、どのように日本酒を楽しんでもらいたいですか?
徳力社長:弊社のお酒は食中酒として売ってますから、料理と一緒に楽しんでいただけたらと思います。まずは一口、日本酒を飲んでもらいたいです。

-最後に、こだわりなどがありましたら是非!
徳力社長:本当においしいものを際限なく求めていく。そういう気持ちを、酒を造る杜氏や蔵人も、酒を販売する社員も、日々心がけています。私がいつも思っていることなんですけど、会社は能登半島の先端にありますが、お酒はパリにもニューヨークにもシンガポールにも売られているわけですから、奥能登とパリは直結している、そんな気持ちで営業をやっています。
(以上、インタビュー)


お話をうかがって感じたことは「盤石さ」。この一言に尽きます。
創業が1768年という、250年以上の歴史を持つ酒造ながらも、伝統にすがることなく新しいことに挑戦し続けるという柔軟性に感銘を受けました。今回取材を受けていただいた徳力社長や万行さんをはじめ、珠洲という地で生まれ育った能登杜氏や蔵人など、多様な人材がいて、今後もさらなる飛躍が期待されます。
私自身、本取材をきっかけに日本酒にさらなる興味を持ちました。

珠洲おしごとライター 川浦風太(金沢大学)
取材日:2020年9月28日
※能登キャンパス構想推進協議会「奥能登チャレンジインターンシップ」として実施

リンク
宗玄酒造株式会社 公式サイト