温もりのある家を築き、物語の根幹を築く/株式会社船本工務店

はたらく
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「ここから見える立山はこっちのものですから。
 何回も見ているけど、飽きるものじゃない。
 今でも、よく見える日には、車を停めて見ます」

海の向こうに見える立山連峰のお話です。
そう楽しそうに笑って話してくださった船本 修さんは、父から受け継いで創業70年以上となる船本工務店の社長さん。
この土地で生まれ、いい時も悪い時もずっと、ここ珠洲市と共に時代を越えてこられました。
「苦しい時もあったが耐えるしかない」と語る船本さん。
時に景色に励まされ、時にお客さんに「いいがになった」と喜んでもらいながら、家族の物語の一番大事な『住み家』を作り続けてきました。
そんなお仕事のこと、そして、この街と共に生きてきた船本さんだからこそ感じる、子どもの頃の珠洲と今の珠洲。見つめ続けてきて、今何を感じるのか聞いてきました。

質問にポツポツと、ゆっくり答えてくれた船本さん。
その穏やかな話しぶりに、どこか懐かしさを感じました

木のある暮らし

-まずは、どんなお仕事をされているのかお聞かせください。
一般住宅の新築や増改築、リフォームをやっています。それから公共事業も。いわゆる木造建築ですね。
現在社員は12名。朝は7時40分頃に集合して、その日の打ち合わせをし、そこから現場の人は向かいます。作業が終わるのはだいたい17時頃。雨の日などは、ここ(敷地内)で作業をしたりします。

-主に木造建築を請け負っておられるとのことですが、木の良さとは何でしょうか。
あたたかさですね。足で踏むと柔らかく暖かい。あと、優しさや落ち着きといった温かさもあります。香りと、色味は癒しをくれます。ちゃんと手入れをすれば、色は変わるけど、何十年と持って、しっかり住み家を守ってくれますよ。

船本工務店がリフォームして生まれ変わった家。
開いた扉の向こうにある木のぬくもりが、心を癒してくれます

-船本工務店さんのウリは?
製材部門があって、自然乾燥した地元産の木材を豊富に保管しているので、急な要望にも応えることができます。また、設計から大工、左官の職人までいるので、様々な仕事を外注せず、自社内で施工できます。

製材部門もあるのが船本工務店の強み

船本さん自ら設計したという木材の乾燥室

また、10年ぐらい前から、端材や廃材を細かく加工してペレットにし、「珠洲里山ペレット」として販売しています。木が育つ時には、二酸化炭素を吸収して酸素を出します。その後に燃焼すると二酸化炭素は多少出るけれども、先に吸収しているからプラスマイナスゼロ。カーボンニュートラルというやつです。そうやって自然環境にも配慮して取り組んでいます。

地元の桜の木を使った燻製用のペレット

この土地で続けてきたからこその喜び

-長くこのお仕事を続けてきて、嬉しいと感じるのはどんな時ですか。
やっぱり、以前のお客さんからまた声をかけてもらえた時ですね。それと、完成、引き渡しの時に喜んでもらえた時です。ごくごく普通ですけど嬉しいものです。出来上がりを見て、「いいがになった」と言ってくれると。

-「いいがになった」とは?
いいようになったっていう意味です。「いいがになった、いいがになった」って。
そっか、これ方言かぁ。

-とても可愛らしい方言ですね、初めて聞きました。そうやって言葉をかけて喜んでくれる主なお客さんは。
珠洲市、能登町の方々です。でも、ここ数年は人口減でお客さんも徐々に減ってきています。そんな中、金沢方面からハウスメーカーが進出してきて新築工事が取れなくなってきました。昔からの大工さんが造る家を望むお客さんが少なくなっているようです。同業者もずいぶん減りました。
この現象はここだけではなく、日本中で問題になっていると思います。この業界の深刻な課題です。厳しい状態は続きますが、人が住むには必ずリフォームの需要があります。
最後まで生き残る思いで頑張っていきます。

-力強い言葉ですね。そうやって、これからも続けていけるように、新しい働き手も募集しているようですが、こんな人にきてほしいという希望はありますか。
真面目で責任感が強い人、向上心が高い人にきてほしいですね。未経験でも一生懸命覚える気や、やる気があれば構いません。もちろん、珠洲市以外の人でも。むしろ大歓迎です。今いる従業員も平均50代になるので、できれば現場ができる若い方がいいですね。

-この仕事に向いてるのはどんな人でしょうか。
手を抜かずに一つひとつ丁寧にできる人です。変に走った仕事ではお客さんに去られてしまいます。単純ですが、難しいことで、とても大事なことです。

一つひとつの仕事を丁寧に。社内には全ての工程に対応できる機材が揃っています

能登で生まれ育ち、見てきた景色。そして今想うこと

-船本さんは、ずっと珠洲に住んでいらっしゃるそうですが、子どもの頃からの変化を感じることはありますか。
子どもの頃は、近所の神社やお寺が遊び場になっていて、同年代の子と、怒られながら走り回っていました。しょっちゅうケガもしていたけど、今みたいに危ない危ないという時代でもなかったですから。夏は、近くの見附島の真横で泳いで、帰りに近くの畑でこっそり、きゅうりを食べたり。毎日賑やかで。同級生は1学年に120人位いました。
でも、今ではすっかり減ってしまって、1学年に数人になってしまいました。
目の前に高校があったのですが、以前は、最寄りの駅に列車が着くと、川が流れるように学生が入っていって。帰りになると、間に合うか間に合わないか、走りながら駅に向かっていくのをよく見かけました。それが、鉄道が廃線になり、高校が統廃合されて、若い人や子どもが本当に少なくなりました。地元の商店が減り、コンビニやドラッグストアが進出してきて、街もずいぶん変わってしまいました。

会社の向かいにある旧・珠洲実業高等学校。統廃合後、校舎は特別支援学校として活用されている

-そんな時代の移り変わりを見てきた船本さんだからこその、珠洲の好きな場所は?
見附島ですね。朝陽がすごく綺麗ですよ。
あとは、海岸から見える立山連峰です。海の向こうに見える山は、珠洲の自慢の景観です。立山があるのは富山ですけど、ここから見える立山はこっちのものですから。何回も見ているけど飽きるものじゃないです。今でも、よく見える日には車を停めて見ています。

海越しに見える立山連峰。ここでしか見れない幻想的な景色。
綺麗に見えた次の日は雨、とも言われる

-伝統的な地元のお祭り、キリコ祭りがあると伺ったのですが。
祭りの前は、今でもソワソワしますね。ここらでは、「やっさぁやっさぁ」と掛け声をかけながら、キリコを担いで海に入っていきます。何十メートルか先に松明が焚いてあって、そこを回ってきます。潮の満ち引きを見誤って、足がつかない時もあり、それは必死です。キリコ自体は浮くようにしてるので大丈夫ですが、潜って運んだりして。夜12時ぐらいまで担いで、次の日朝早くには解体します。たった一晩だけのお祭り。
今ある町内のキリコは40年以上前に、うちの大工たちで造りました。修繕もうちでしてます。ここは、地元の人じゃなくてもキリコを担ぐのに参加できるんですよ。

キリコを担いで海に入り、乱舞する「宝立七夕キリコまつり」(8月第1土曜日開催)

-それは、ぜひ参加してみたいです。そんな魅力ある珠洲市に興味ある方へ、最後にメッセージをください。
都会に住むような便利さや娯楽施設がない等、若い人には辛いこともあると思います。
でも、ここでは、四季が感じられ、人情味溢れる人が多くいます。
自然豊かな所で、子供をのびのび育てていける環境があります。
終(つい)の住み家の思いで来てもらえたら。
都会に比べて収入は少なくなるけれど、だからといって生活ができないという訳ではないです。若い人や、子供のいるご家族に住んでほしいとの想いで、空き家の改築にも協力しています。

珠洲に住んでください。待ってます。

「珠洲を出たいなんて思ったことはなかった」と語る船本さん。
きっとそれだけ魅力的な土地なのでしょう

(以上、インタビュー)


木の香り宿る新しい家に、若い夫婦が住む。
やがて、二人の間に子供が生まれ、家の中から笑い声が聞こえてくる。
紡がれていく物語。
その根幹を築く大切な仕事。
きっと、家によって、幸せの度合いは大きく変わる。
そこに喜びを感じられるのなら、とても素敵な仕事だと感じました。

街を通り、自分が造った家を見ながら通り過ぎていく。
目に見える形で残っていき、やがて街並みに溶け込んでいく。
それは、伝統的な能登の景観をも守っていく。
そして、「いいがになった」と言ってくれた言葉は、きっと宝物になる。

最後に、蔵を改築して、新しく生まれ変わった家に案内してもらいました。
あまりに素敵な出来に、思わずテンションが上がってしまった自分を、船本さんは少し後ろから眺め、とても嬉しそうに優しい笑顔をくださいました。きっと、お父様から受け継いで、昭和、平成、そして令和へと、沢山の苦難を乗り越えながら、これまでも出来上がった家を案内し、こうして、少し後ろからあたたかい笑顔を送ってきたのでしょう。

ふと、インタビュー中に教えてくださった言葉を思い出しました。

能登はやさしさや
土までも

珠洲おしごとライター 好井 一英
取材日:2021年12月15日
※「珠洲市実践型インターンシップ2021」として実施