歴史に学んだ窯で こだわりの逸品を焼き続けたい/ためしげ陶房

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約500年前に忽然と姿を消したといわれる珠洲焼。
珠洲のあちらこちらから出土したという珠洲焼のかけらたち。
その技法も焼き窯も、現在に蘇らせた珠洲の人々。
灰黒色の姿がとても美しい珠洲焼は、その歴史をひも解くと魅力がさらに高まります。
今回は、珠洲焼の復興とともに歩まれてきた「ためしげ陶房」の爲重 功さんに、たっぷりとお話をうかがってきました。

珠洲焼の復興に深く携わり、自らも窯元として作品をつくってきた爲重 功さん

中世の窯跡から歴史をひも解き、幻の焼き物を復興

ー珠洲焼は室町時代に忽然と歴史が途絶えた幻の焼き物だそうですが、爲重さんと珠洲焼の歩みを教えてください。
もともとは焼き物を焼こうなどとは全く思っていなくてね。歴史家として珠洲の歴史を研究する中で、珠洲焼にたどり着いたんです。
珠洲焼は約500年前に忽然と姿を消したと言われているけれど、僕の子どもの頃には、珠洲のあちらこちらで陶器のかけらを見かけていてね。その後、珠洲郷土史研究会に入って活動する中で、よく見ていた焼き物の貴重な歴史を知り、珠洲焼の復興のために研究するようになったんです。市内の法住寺というお寺には、800年前の平安時代に焼かれた陶器が見つかっているし、その近くの西方寺というところには、室町時代の窯跡がほぼ当時のまま今も残っているんですよ。
珠洲焼のルーツを探る中で、朝鮮半島の新羅との関係が深いこともわかりました。その昔、新羅から船で渡ってきた人たちが法住寺に窯を構え、そこで焼いていた須恵器の伝統が、珠洲焼には色濃く残っているんです。新羅で焼かれていた「新羅焼」は、窯のかたちも「叩き締め」や「櫛目文様」という技術の特色も珠洲焼と同じで、そのルーツを知るために韓国の慶州まで行ったこともあります。
こうした歴史家としての強い想いから「珠洲焼資料館」の開館にも携わり、平成元年に初代副館長に就任することになりましたが、当時、自分で窯を持ち「珠洲焼」を焼こうとは考えていませんでしたね。

岩盤をくり抜いた窖窯(あながま)が現存する西方寺一号窯
(国指定史跡 珠洲陶器窯跡のひとつ)

韓国・慶州で現代に復元されている「新羅焼」。珠洲焼との共通点が多い

ー歴史的な研究や考察から、珠洲焼を作る陶芸家になったきっかけは何だったんでしょうか?
珠洲焼資料館がオープンして、珠洲焼に毎日触れて歴史を研究しているうちに、この全国どこにもない焼き物にだんだん魅了されて、自分でも作ってみたい、自分で焼き窯を持ちたいと思うようになってきてね。妻も全く反対もせずに見守ってくれて、ここに窯を作ったんです。
窯のかたちは「窖窯(あながま)」といって、断面図を見るとわかりますが、薪を入れる焚口から段状に床が高くなり、最後に煙突が伸びています。日本全国に焼き物の産地はあるけれど、窖窯で焼くというのは珠洲以外どこにもないし、ここの窯の大きさは、おそらく石川県でも一番大きいと思います。

爲重さんが初代副館長を務めた珠洲焼資料館。珠洲焼の代表作を展示し、その歴史や技法を紹介している

ご自宅の敷地内にある窯。煉瓦を厚く積み上げて1,200℃の高温に耐えられる頑丈なつくりになっている

酸素を入れずに高温で焼き締める技の苦労と醍醐味

ー珠洲焼の原料となる土について教えてください。また、魅力的な灰黒色を生み出しているのはどんな技法によるのですか?
僕の陶房では鵜飼川下流の土を使っています。珠洲焼の魅力である灰黒色は、窯の中に酸素が入らないようにして1,200℃で焼き締める、いわゆる「強還元焔焼成」の技法が生み出していましてね。さらに、ここでは薪にアカマツを使っているのですが、このアカマツの灰が陶器の表面に降りかかり、高温によって溶けることで、まるでガラスのような光沢のある、ふたつとない質感と模様が生まれるんです。たまに釉薬(うわぐすり)を塗っているのではないかと言われるほどです。

陶器の表面で薪の灰が溶けることで、独特の光沢や模様が生まれる

ー酸素を遮断してそれだけの温度を保つのは大変ではないですか?
そう!本当に大変です。ここの窯では長時間1,200℃以上を保つために、1週間かかる窯焚きの間、弟子も含めてみんなで夜通し、窯に薪を足しては酸素が入り込まないように塞ぐという作業を続けます。1回の窯焚きに使う薪はおよそ500束。こうして酸素の少ない状態でしっかり焼き締めることで、灰黒色で丈夫な珠洲焼に仕上がるんです。
これほど珠洲焼の窯焚きは大変なので、後継者が生まれてほしい反面、珠洲焼の職人になるもんじゃない!とも思うこともあります。それでも、焼き上がって窯から出した自分や弟子たちの作品を見たときは、やっぱり感動しますよ。

1週間かけて焼き上がり、窯の前に並んだ作品たち

窯元として独立したい熱意ある人を求む

ー現在、珠洲焼の窯元様はどのくらいいらっしゃいますか?
現在、珠洲市と隣の能登町を合わせると20くらいの窯元があるかな。
珠洲焼が復興を遂げた当初は、伝統と技術を受け継ぐ職人を育てるために、窯をつくることに対して行政からの手厚い補助金もあったんですが、今は陶芸センターで研修を受けて作家として世の中に出た後、窯元として独立する人が減ってきてしまってね。陶芸センターの窯を借りて焼く人が多いんです。僕の個人的な想いとしては、窯をつくるための補助金が復活し、もっと自分で窯元として独立できる可能性を広げてほしいと感じています。
ー珠洲焼に魅力を感じる若者が移住して技術を磨くことは、珠洲焼の今後のために必要と思われますか?
僕のところに、突然「弟子にしてください!」と訪ねてくる人も、年に何人かいたりしてね。
僕としても、弟子はほしいと思っています。ただ、僕の年齢のこともあるので、ある程度陶芸の基礎ができている人、そして、本当に焼き物を焼きたくて、自分で窯元として独立するんだという強い気持ちがある人が、この陶房で珠洲焼を焼きたいと言ってくれたらいいなと思います。
現在、僕の陶房にいる弟子たちは、みんな珠洲焼の作家として一人前なので、もう僕が技術を教えるということはなくなったけれども、珠洲焼の歴史から学んだ窖窯を構え、アカマツの薪を使ってじっくり高温で焼き上げるという、この陶房のこだわりをずっと受け継いでくれる人が続いてくれるといいなと思います。
僕の弟子たちが認めるだけのやる気のある人ならば、日本全国だけでなく海外の方でも大丈夫。熱意がある人がいればうれしいですね。

爲重さんの陶房に集うお弟子さんや仲間たち

ー最後に、爲重さんにとっての珠洲焼の魅力と、この陶房の魅力をぜひアピールしてください!
瀬戸焼や備前焼などの六古窯と並ぶ深い歴史を持つ珠洲焼に、復興から現在まで深く関わってきたけれども、気温や気圧などの自然条件によって焼き上がりの表情が変わったり、1,200℃を超える高温の釡で溶かされた灰によって、ふたつと同じものがない模様や質感が生み出されたりする、そういうところが珠洲焼の魅力ですね。
これまで僕の陶房で珠洲焼作家となったみんなに共通するのは、「売るためだけの焼き物」を作るのではなく、「自分自身が手離したくないほどのこだわりの作品」を作ろうという想いが強いということです。買い手がいるのに手離したくないと思うほどの珠洲焼を作る。それがこの陶房の魅力ですね。

お弟子さんの1人が作った独創的な模様の珠洲焼

(以上、インタビュー)


歴史に造詣の深い爲重 功さんのインタビューは、本当にワクワクさせられ通しで、時間がいくらあっても足りないと思うほど楽しいものでした。インタビュー以外にも、現在も残る古窯を案内してくださり、実際にそこに今でも残る破片の数々を見つけてくださったりと、長時間に渡り珠洲焼の魅力を教えてくださった爲重さん。ときにはタイムトリップをしているような気分にもなるほど、珠洲の歴史と珠洲焼の魅力について語ってくださいました。
珠洲焼の復興にかけた熱い想い、珠洲焼が今後あるべき理想のかたち…。いろんなお話をユーモアたっぷりに話してくださり、珠洲焼のみならず、珠洲の歴史全体を知ることができたような気持ちにさえなりました。
「ためしげ陶房」の後継者を求めるというよりは、珠洲焼の復興にも深く関わり尽力されてきた爲重さんは、復活を遂げた幻の黒い焼物「珠洲焼」そのものの技法や伝統を受け継いでくれる陶芸家・窯元が、今後も増えていってほしいという切なる願いが込められていると感じます。
「ためしげ陶房」にある珠洲焼を見て・触れて、次回は必ず珠洲焼体験をしようと決めました。

珠洲おしごとライター 浦浪 厚子
取材日:2021年12月4日
※「珠洲市実践型インターンシップ2021」として実施